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解説に「ニール・アドミーラーリー(なににも驚かない)」というのがストア学派の骨子だと言っています。ストイックという言葉があるくらいですから、節制我慢忍耐の哲学なのでしょう。その上に「なににも驚かない」、どのようなことにも動じないという精神の鍛錬も目指しているようです。エピクテトスはネロに仕えていたエパプロディトスの奴隷であり、この主人によって殴られ足が不自由になったということです。このエパプロディトスは臆病なネロのために自殺を介助し、短刀を首に突き刺したといわれています。のちにこのことにより、エパプロディトスは死刑になっています。エピクテトスは解放され、同時にローマから追放され、ギリシャのポリスに移住し、そこで学校を建て、136年80歳あまりで死んだそうです。
着飾った若者がエピクテトスの前に現れました。エピクテトスは若者に対してこう言っています。
「女は本性上すべすべして柔らかくできている。そしてもし彼女が毛がたくさんあれば、怪物で、その他の怪物どもといっしょにローマで見世物にされる。だが怪物は、男の場合は毛が無いことである。もし男が生まれつき毛を持っていないならば、彼は怪物であるけれども、自分で剃ったり、むしりとったりするのであれば、わしどもは彼をなんとしたものだろうか。」
これに対して若者は、「女たちはすべすべした者が好きです」と答えます。エピクテトスは腹を立てます。
「首をくくって死んでしまえ。彼女らが男妾を喜べば、お前は男妾になるのか。剃ればお前の役目か。お前は放縦な女たちに好かれるために、生まれてきたのか・・・」
で、若者はこう尋ねます。「不潔でいるべきでしょうか?」
「そんなことではない。むしろきみがあるように、しかも本来あるように、それをきれいにしたまえ。男は男としてきれいでなくてはならないし、また女は女として、子供は子供としてきれいでなくてはならない。ところはきみはそうではなく、むしろ不潔でないように、ライオンから鬣を、そして鶏から鶏冠をむしりとろうではないか、それもまたきれいであるべきだから、というんだね。しかし鶏は鶏として、またライオンはライオンとして、また猟犬は猟犬としてきれいでなくてはならないのだ」
しかし現在、ピアスをつけていたり、足の毛を剃ったりする若い男に対して、エピクテトスの忠言は馬の耳の念仏でしょう。