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オドリコは1314年ヴェニスを出発し、行きは海路でホルムズ海峡からインド洋に出てインド、スマトラ島の淵を通り、スンダ海峡を通り抜け、ボルネオ島を大回りして、いまのヴェトナムにつき、それから中国の広東、海辺伝いに南京、1325年北京(当時ではカンバリク)についています。そこで3年間過ごし、今度は陸地を通りヴェニスまで帰っています。北京ではその3年間何度も王宮に招かれてその様子を記録しています。元の英宗、泰定帝の時代です。当時の北京はヴェニスが田舎に見えるくらいの、目も暗むような豪華さであったようです。
キリスト教の布教とはいえ、見ず知らずの国に単身で乗り込んでくる宣教師たちの心意気は見上げたものであります。他国の言葉も何とかマスターしていきます。通訳者もいたでしょうが、宗教のことで議論もしたりしています。なかには国王の肖像画に跪くことを拒否して焼き殺された宣教師もいます。宣教師たちは本国に派遣された国々の事情を手紙で知らせています。やがてこのようなことで、大航海時代宣教師たちは植民地獲得の手先であるように思われたのでしょう。
オドリコが広東に着いたとき、小人国があるといううわさを書き付けています。大きなメロンから人間の子供が産まれるとか、ある国では美人が多いとも、見たこと、聞いたことを書いています。