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この本は昭和50年、1975年の出版です。当時のタイと今のタイではずいぶん違っているでしょう。
ククリット・プラモートはタイの首相をやった人で、この本では体制派の代表です。チット・プーミサックは詩人で、35歳のときに暗殺されていて、反体制派です。二人の書いたものを並べ、当時のタイの現状を考察しています。
体制派は仏教・バラモンを大衆の管理に利用しています。現在豊かであるということは前世で徳を積んだおかげであるといい、農民などが貧しいのは前世で徳のないことをしたからであるといい、因果法則、輪廻を説き、だから貧しいものは豊かなものに一生懸命仕え、豊かなものは貧しいものに慈悲をかけなくてはいけないという論理のものとの社会構造になっています。一方反体制派は全面的に土地を取り上げて、高い税をかけ、お目こぼしに祭りなどで大判振る舞いをして大衆の息抜きをさせ、その後は相変わらず醜い収奪をしているといった、共産党の考え方です。
第三者の日本人からタイの現状を見ると、支配層、中間者、農民の三階級はお互い「賄賂」という「徳」でもつれ合っていて、金銭を持たない貧乏な農民は豊かなものに慈悲という賄賂を要求し、それに対して中間層である中国人華僑である商人は高い利子を取りながら農民に金を貸し、生かさず殺さずの扱いをし、これら商人は支配層に多額の賄賂を渡し、身の安全と収入の独占を考えています。だから日本人がタイに工場を建て、タイ人を雇ってもあまり働かないものだから、工場長自ら一生懸命に働くと、それにつられて働くかと思うと大間違いで、かえって馬鹿にされてしまいます。現在でこのようにきつく働くのは前世でよっぽど悪いことをしたのであろうと考えるからです。タイ人の理想は働かなくてもいい王族や役人です。賄賂がないと機能しないというのがタイ社会なのです。タイの最下層の人も、仏教の「徳を積む」という教説を脅しに使って、上の階級のお目こぼしを要求するのです。日本人でよく言われる「甘えの構造」なるものは、タイでも同じようなものがあるようです。