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このまえコンピュータソフトとプロの将棋棋士との対戦があり、プロは一勝しかできなく、3敗し、持将棋がありましたが、実際はこれもプロの負けのような将棋の内容でした。市販されている将棋ソフトでも4,5段はあり、もはや私には勝つことができません。機械は相手に「ビビル」ことも、疲れることもなく、理路整然と差し手を進めます。そして詰みがわかると、私なら決して思わないようなこと、大事な大駒・飛車や角をゴミのように捨て、一気呵成に頭金の状態になります。ここ当分コンピュータソフトとの将棋はやっていません。腹が立つからです。人間との対戦では、一局に私たちのレベルでは一、二回、それ以上のミスをします。お互い間違い合って、お互いの健闘を讃えながらダラダラと終局に向かいます。ところがコンピュータソフトでは有無を言わせずねじふされる感じになり、「お前も人間よのー、あそこで飛車を切っとたら詰っとんたんでー。すくんで切れんかったじゃの」という共感の場がありません。
これら将棋ソフトももとを言えばライプニッツの考えに根ざしています。
「世の中のあらゆる事象は二者択一の選択肢にまで分解できる」
コンピューターでの0か1かです。0と1を駆使して壮大な思考の回路を作り上げます。これが「アルゴリズム」といわれるものです。
「アルゴリズムとは無数の二者択一からなる巨大なディシジョン・ツリーだととらえることができる」
いまやこれがどの分野にも進出し、人間の雇用をなくしています。はじめは会社の経理部門の人間がコンピュータソフトに置き換わりました。それから工場部門でコンピュータソフトロボットが人間を駆逐します。今からは医者も弁護士も薬剤師も新聞記者もコンピュータソフトに置き換わります。自動車もコンピュータソフトがするようになります。創造性の大家・芸術家もコンピュータソフトにはかないません。バッハ、ヘンデル、ベートーベンにも劣らない作曲をしています。俳句だってコンピューターではたやすいものです。
「Cannot the fervor/ Over the river’s ending/ Be postponed to now」
「Water snakes writhe/ Water splashes in their wake/ A frog heads for home」
「The fire crackles loud/ In the morning air as I/ Wander on the path」
この三つの句のうち一つが人間の作であると言っています。一句は「アニー」というコンピュータソフトが作ったものだそうです。あと一句は何もこの本では言っていません。
CIAの分析官もやがてコンピュータソフトに置き換われるでしょう。人間の分析官とコンピュータソフトとで未来予測をした結果、その何年後に検証したら、コンピュータソフトのほうが正しい予測をし、人間のほうは「バイアス」にとらわれて間違いが多かったということです。
ここまで来ると人間はミスをするから人間であると確証されます。ミスをしない人間はいない。ミスがあるから人間社会のドラマが生まれ活気あるものになるのでしょう。みながみな東大生のようにミスのない人間ばかりになったら、もう祭りとかバカ騒ぎはできなくなるような世界になってきます。そういう世界も冷静で落ち着いていていいかもしれませんが、やはり大馬鹿がいたほうがにぎやかで私にはあっている。しかし核戦争のボタンを押すような大馬鹿もいても困ります。人間とコンピュータとの調和的な関係になってほしいものです。