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シュリーマン 日本中国旅行記 パンペリー 日本踏査紀行

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シュリーマン 日本中国旅行記 パンペリー 日本踏査紀行


         トロイの遺跡を発見したシュリーマンが日本に来ていたことにびっくりしました。1815年慶応元年5月に横浜に来ています。最初に出会った日本人はシュリーマンに荷物を運ぶ沖仲士で、みな体に刺青をしていたと記録しています。中国ではボッタクリされたそうですが、日本ではシュリーマンも満足する値段だったそうです。今でも世界では旅行者を食い物にするボッタクリ・タクシーがいますが、日本は江戸時代からそのようないかさまをやっていません。中国や韓国は孔子を学ぶだけで、実行できていません。日本では学んでいないヤクザですら、孔子のような行動を取るのですから、自慢するようですが、人間の質が違うのではないかと思われます。又聞きか、本当に行ったのかどうかわかりませんが、浅草の劇場の様子なども書いています。観劇は朝から始まって、夜遅くまでなるそうです。幕間にはちょっとした喜劇のようなものがあって、観客は土間に座って物を食ったりして観劇していたようです。シュリーマンは日本は識字率も高いし、他のアジアの国では見られない高い文明を持ち合わせているが、キリスト教の「高い徳性の表現」には達していなくて、キリスト教の宗教心のようなものが、最下層の人々まで浸透していないと言い、たぶんそれは公衆浴場の混浴や吉原の売春街を見たせいでしょう。しかしこの「高い徳性」も植民地での西洋人の暴虐を見れば、お前たちにそのようなことが言える資格があるのかと問いたいくらいです。

パンペリーは江戸幕府のお雇い外国人で、鉱山について、日本人学生3,4人にパンペリーにつかせて、学ばしています。たった一年間でしたが、パンペリーも賞賛するほど日本の学生の勉強振りが真摯で真面目だったということです。やがてこういう人たちが明治になって活躍していったのでしょう。

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