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この日曜日親戚の49日に出たのですが、出席者でどういう関係がわからない人が多くいました。私にも中華思想があるようです。自分以外余り他に関心をもたないのでしょう。私とは反対に、世の中には人事に詳しい人がいるものです。いまをときめく総理に関して、派閥とか、親戚縁者の関係とか、詳しく知っている人もいます。社会は人が動かすのですから、特に重要な人物の人間関係を知ることは、いろいろな商機を掴むことにもなるでしょう。抜け目の無い人は特にこの方面で鋭角な鼻を養っていなければ、チャンスを掴み損ねます。商機は関係ないかもしれませんが、歴史学者ほど人事に関して細かく知っておかねばなりません。日本史で文字が記されたのは7世紀ごろからですから、その頃から人の名前も明確になってきます。日本史では天皇と、后妃を差し出す豪族との関係です。中国では最初に豪傑英雄が現れて、朝廷を作り、それが衰退すると新しい豪傑英雄が、前の朝廷を打ち破り、新しく朝廷を作りなおすといったことが繰り返され、王朝は断絶しています。日本では始めは荒々しい豪族英雄が天皇になったのですが、それ以降、その時代、その時代の権勢あるものが天皇に妃を差し出して、連綿として天皇家は続き、時代時代によって、天皇家を取り込もうとする権勢家に浮き沈みがあったということになります。天皇には何人もの妃と結びつき、それらが子供を生むと、人事は複雑になり、天皇は若くして死ぬと、妃や妃の母お婆さんが天皇を代行し、子供や孫が成人するまで代役を勤めることがしばしばありました。それと同時に親戚同士争うこともあり、中国のように大戦争となりませんが、顔を知っているもの同士が戦っていたということになります。