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石ころから始まり、刀、弓、銃、大砲、ミサイル、原子爆弾、ドローン、ロボットまで殺し合いの武器が発展したのが見られます。弓くらいまでは戦士としてのプライドが持てますが、銃以降そのようなものをもっていたらすかさず殺されてしまいます。日本の織田信長以前の合戦では、みんな武士は俺はどこそこのものであると名乗っていました。そこにはたとえ殺し合いであっても美意識があったように思われます。でも織田信長以降、足軽が放つ一斉射撃で甲冑をかぶく武士が名乗りを上げるまもなく銃弾で倒されます。ある面銃は戦争での民主主義をもたらしたと著者は言っています。「戦場における階級力学」が変わったと表現しています。その例としてまさしく日本での1575年の長篠の戦を引いています。「日本の戦争における伝統的な社会秩序をくつがえした」と解説しています。西洋では「卑しい銃士」によって「騎馬貴族」が殺されるのが腹立たしいと思われ、捕らえられた「卑しい銃士」は「手を切り落とされ、目をくりぬかれた」と書いています。
広島に原子爆弾を落とした飛行機は「エノラ・ゲイ」と名づけられていますが、これはパイロットの母親の名前です。母親は広島で14万人が死んだと聞いて何を思ったことでしょうか?原爆は早く戦争を終わらして、それ以上の人的被害を最小に抑えたと自賛していますが、落とさなくても日本は降伏するのはわかっていたのです。作ったからには実験してみようと思ったのでしょう。砂漠で破裂させても、人間の被害はわかりません。我々はモルモットにされたのです。広島の比治山の上に建てられたABCCはいったい何を研究したのでしょうか?私は被爆者ではありませんが、何十年か前、ABCCから無料で身体検査をするから来てくれという封書が届いたことがありました。私は無視しましたが、中にはタダだからと言って受診した人もいたでしょう。多分広島で生活している人の残留放射能の数値がきめ細かくアメリカの秘密文書となって保存されていることでしょう。