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読書

ジョン・キーガン 戦略の歴史


    紀元前3000年前くらいから現代まで、それに現在のパプアニューギニアあたりの未開の民族などの戦争について梗概しています。なぜ人類は戦争をするのであるかを考えてみると、まず狩猟の延長だという人もいます。儀式だという人もいます。女の取り合い、食物の取り合い、テリトリーの取り合い、等々いろいろな説があるようです。パプアニューギニアあたりでは、一人でも死傷すると、手打ち式になり、それ以上の人命の損傷をしないようにしています。多大な死者が出るのは、しかし現代の戦争と比べたらたいしたことはないのですが、古代ギリシャからです。6メートルの槍と楯を持ち、集団になって前に進む歩兵ができてからです。それから弓、馬、戦車、投げやり、投石器、火薬を使った大砲、銃と戦争の道具が進化し、それに伴って死者も増えていきます。とうとう原子爆弾まで至ります。もはやパプアニューギニア人の戦争の知恵、儀式を通して無制限な憎悪を抑制するといったものが失われてしまいました。クラウゼヴィッツの「戦争とは政治の継続である」といった洒落た言葉など、意味を持たないほど、残虐で下品でおぞましいものに成り下がっています。もはや戦争には英雄などいなく、ただ犯罪者がいるだけの世界になっています。古代ギリシャの、死ぬまで戦うといった思想が、西洋の土台になり、そのためには武器の開発と改良につとめ、効率よく相手を殺戮するということに努力を怠りません。その典型的なものは、アレクサンドロス大王とペルシャの皇帝ダリウスとの戦いです。ダリウスはまだいにしえの戦争の知恵を持っていて、ある程度戦争の帰趨が決まったら、それ以上は戦わなくして、交渉によって結着をつけ、それ以上の人命の損傷を防ぐ考えの持ち主でありましたが、ギリシャの考えを持ったアレクサンドロスは、「優位に立った後では決して買収や交渉に応じない」ということで、あくまでも勝ことを目標にし、負けるということは自分の死を意味することになります。自分が優位でないと交渉しないのですから、はじめから話になりません。今でもこれが欧米の考え方です。ジョン・キーガンは最後にパプアニューギニアの戦争における知恵と儀式をもう一度学び直さねばならないと言っています。

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