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文学と数学の融和を目指しているということなのでしょうか?水と油と思われていた両者が、量子力学ができて、簡単に言えば、科学に物語が発生したということです。そのところをこのように表現しています。
『理論を検証するのに必要なエネルギーが膨大になりすぎ、また距離や質量は微小になりすぎて、実験的に検証できる結果を出せない。彼(ジョン・ホーガン「科学の終焉」)はそこから出てくる科学を「うがった科学」と呼び、それを美術や哲学、文芸批評になぞらえている。世界を見るための、ありうる、興味深い、新しい見方を提供するだけだというのである。われわれの宇宙はいくつもある中の一つか。クウォークは部分に分かれるのか。量子力学の本当の意味は何か。このような問いには経験的に答えることはできないし、ホーガンによれば、こうなっているからこうなっているという物語と空しい推測につながっていくだけだ』
いまインターネットの発達で、日夜膨大なビックデータが形成されつつあります。でもこのビックデータは単なる数字のかたまりですぎません。これをどのように解釈するのが一番大切なことで、つまりそこに物語を見つけ出す能力が大前提となります。それには数学者の頭と作家の頭が必要なのでしょう。これを「柔らかい数学」(キース・デヴェリン「デカルトよさらば」)と言っています。統計でうそをつくという言葉もありますが、同時に真実も語られるということもあります。