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以前読んだ本で、DNAの解析で近親結婚の弊害から、ツタンカーメンは病弱で、骨に畸形が見られ、杖がないと歩けないと書いてありました。彼の墓には杖が多く副葬品としてあります。また彼の妻も兄弟の娘か、叔父さんの娘かです。それで二人の間には女の子の子供が二人できましたが、どれも死産でツタンカーメンの墓に一緒に埋葬されています。これも近親結婚の影響だとおもわれています。しかしこの本によりますと、遺伝子学者の間には3000年前のミイラの遺体からDNAを抽出することはできないと批判しています。遺跡の壁画からツタンカーメンは健康で、たくましい青年武将であり、猟や、競争を楽しんだ人間であることを表示しています。で、狩りの最中沼に落ち込んで、かばに咬まれて、それで18歳で死んだのだとも言われています。マンモスのように冷凍保存されていれば、DNAは取り出せるでしょう。しかし砂漠で乾燥しきった中3000数百年もの間放置されたミイラから果たしてDNAが取り出せるでしょうか。でも最近の技術の発達はすさまじいものがあります。どちらが正しいのかよくわかりません。
考古学者のジャケッタ・ホークスはイギリスのストーン・サークルについてこう書いています。
「いかなる時代にも、人はその時代にふさわしい――そして望ましいものを、ストーン・ヘンジに与えてきた」
ジョー・マーチャントもツタンカーメンの墓の前で、このように言っています。
「そこに見えたのは古代の王ではなく、人間の妄想と欲望が積み上がったような石の山だった。神、財宝、名声、知識、平和へ通じる道。文明の起源。国家の経済的繁栄。民族としての誇り」
こうなるといわゆる「歴史認識」なるものは今の時代の人間の都合いい考え方だということになるようです。公平な目でものを見つめることは難しい。人はその時代や民族や環境で閉じ込められている。そこには尺度があり、考えるためにはその尺度を使用しなければならない。現在ではその尺度は非常に適合しているが、何千年前の尺度とは全く違うものであろう。