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読書

スティーヴン・D・レヴィット ヤバい経済学


        翻訳者のあとがきで、レヴィットの父親のことを書いています。医学研究者を目指していた父親は「偉大な研究者」からこう言われたそうです。

「レヴィット君、君には医学研究者としての才能がぜんぜんないねぇ。でも、そんな君にも第一人者になれる分野があるんだ。その分野は誰も真面目にやろうとしないのでぜんぜん研究が進んでいない」

何の分野かときいたら、おならだということで、それで父親はおならを研究し、有名な雑誌で、「オナラ王」というキャプションつきで巻頭写真まで載るようになったというエピソードを書いています。

この父にならって息子のレヴィットも研究対象を誰も気づかなかったものに絞っていきます。妊娠中絶と犯罪率の低下、相撲取りの八百長、学校の先生のいかさま、ヤクの売人の収入等々。

日本の犯罪の低さは妊娠中絶大国であったからだということになります。何も日本人が急に優しくなったからというわけではありません。アメリカでの中絶が許された頃から徐々に犯罪率は下がっていきました。レヴィットは別々にあった中絶の件数の統計と、犯罪率の統計を組み合わせ、警察力の強化が犯罪率を止めるのではなく、単に犯罪予備軍が生まれてこなかったからだということを証明してしまいました。いやいやながら生んだ子供の世話を母親はまともにしません。なおざりにされた子供はやがて青少年になると手が付けられなくなるという理屈です。

7勝7敗で勝ち越しを狙う力士と、すでに8勝している力士が対戦すると、7割以上7勝7敗の力士が勝ち、勝ち越しをしているということで、統計上この7割はありえない数字でやはり八百長をしていると結論付けています。前も言いましたが、もともと相撲の起源は、神と人間が相撲をし、わざと人間が負け、神様のご機嫌をとり、その歳の豊作をねがうという神事であることからきています。だから相撲は「思いやりのスポーツ」なのです。ここ最近モンゴル人が相撲界に席捲し、「勝ちに行く相撲」で土俵が索漠としたものになりました。品位に欠けるのです。相手を思いやり、和気藹々として体をぶつけ合うのが相撲なのです。これを履違えてはいけません。

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