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読書

ステュアート・クラーク 宇宙


       シュレーディンガーの猫は箱を開いてみるとその生死はわからないという量子問題があります。「観測が現実を作り出す」ということです。観測者が、すなわち人間がいないと現実はないということになります。人間がいない宇宙はあってもないということになります。観客のいない映画は映画ではないということになります。人間がいることで宇宙もあるということになります。「人間原理」の思想です。でもこれは本末転倒ではないでしょうか。人間がいなくても宇宙はあり、観客がいなくても映画は上映できます。観測する人間の意識がシュレーディンガーの猫の生死を決定するというのはあまりにも不遜な考え方でしょう。最近の研究では「粒子それ自身が自分の物理的相互作用によって観測者になる」ということが検証されています。シュレーディンガーの猫の箱は開けられた時、「量子的決定」なされるが、その時同時に宇宙は「分岐」するということになります。生きている猫の宇宙と、死んだ猫の宇宙が「並行」して存在することになります。このように言われても私にはさっぱりわかりません。天国も地獄もあるのでないかと思ってしまいます。「分岐」が繰り返されるのなら、無限の宇宙があり他の宇宙にも私そっくりな人間も居ることになるでしょう。別宇宙とは通信できないだけで、たぶん別の宇宙では私はやはりこのように読書録でも書いているかもしれません。

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