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タイ人の小説なのに、日本の満州事変が背景にある小説なのです。主人公はタイの新聞記者で、満州に赴任してきます。香港からの船旅で、金髪の女性と出会います。その女性はロシアの新聞記者と名乗り、二人を軸にして筋は進んでいきます。満州警察にこの金髪は共産党要員の疑いで捕まります。何らかの理由で釈放されます。最後二人は出会って抱擁を交わし、主人公は日本へ、女性はウラジオストックへと、別れ別れになって小説は終了します。
私はタイの国の事情を示す小説を期待していたのですが、またもや裏切られました。タイの屋台の人々の苦悩や楽しみを読みたいのですが、私の生活と全く接点がないような小説です。土に根が張っていない、空中楼閣のような小説です。歴史の前提はあるのですが、さりとて満州国の日本の存在はこの小説では影が薄いし、日本が存在しないようでもあります。
セーニー・サオワポンの経歴を見ました。ここで気づいたことですが、タイは極端に格差がある国ではないかということです。西欧の植民地にならなかったのは、この国の上層部が偉かったのには間違いありません。国王を中心にして、これを取り巻く上層部は昔からずっと金持で、屋台でいか焼きを売っているおっちゃんとは根本的に違っています。日本で想像する日本の中間層とも違い、それよりもずっとずっと金持で代々それを維持続けた家系であるということです。だからこれらの人はタイの屋台でものを食ったということは一度もない人々かもしれません。最近日本でもワインを飲むようになりましたが、タイの上層部は戦前からワインを飲むような贅沢な生活をしていたのでしょう。だからタイの庶民生活を見て、日本からだいぶん遅れていると思っては大間違いです。タイの一部の人は日本よりももっと進んだ生活が出来てきたということです。だから文化的な厚みもあり、成金のようながさつさはありません。
最近の調査で東大生は金持の子弟が多いといわれています。豊かな階層はその豊かさを相続できるようになっているのです。日本も屋台の子供はやはり屋台を引っ張るようになり、階級の固定化が始まっているようです。金持集団の小説はやがて自分の国に貧乏人がいないような小説を作るようになるかもしれません。