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レーニンは他の4人と違って唯一の貴族出身です。それゆえ教養も高かったのですが、カルダーの言うところ、「安楽椅子急進派」ということで、革命と叫びながら手を汚したことがなく、言っていることは他に対する罵詈雑言だけだということです。
スターリンは靴屋の父とパートタイマーの母の間に生まれました。母がスターリンを神学校にやらなかったら、2000万人とも言われる粛清はなかったでしょう。本を読むことを覚えたばっかりに、プラウダの編集長になり、最高権力者に登り詰めました。途端にレーニンの業績を自分の業績に置き換えます。レーニンの肖像画は少なくなりスターリンの肖像画はあちらこちらに氾濫します。まるで今の中国のようです。習近平が毛沢東を覆いかぶさるように。
ムッソリーニは鍛冶屋の父と教師の母との間に生まれました。彼も教師になりますが、生徒の母親と問題を犯しがちで、即刻首を切られます。スイスに行って、政治的な投書をしだすとそれが認められて、雑誌に連載が載るようになります。その間フランス語ドイツ語映画をマスターし、哲学も学び、小説、詩、論文を書いたりしています。カルダーによると、他の4人と比べ教条的なものはなく、文学的な才能が少しはあるのではないかと言っています。
ヒットラー、20世紀最大の独裁者、幼少のころは酒飲みの父親に始終叩かれていたそうです。父親が死に、ウイーンにでて貧乏画家になります。この頃ユダヤ人画商に助けてもらっていたにもかかわらず、「わが闘争」では大のユダヤ嫌いになっています。
「彼の生原稿は、語彙と構文の問題だらけである。句読点も大文字の使い方も問題だらけでしかも一貫性がない。35歳にもなっていて、ヒットラーは基本的なスペリングさえもマスターしていなかった」
美術学校の受験を何度も失敗しているのですから、ヒットラーの教養もその程度のものだったのでしょう。
毛沢東、裕福な農民のせがれ。私も「毛沢東語録」を買っています。赤いビニールカバーのポケット版です。ロシア語も英語も読めない毛沢東は翻訳によってマルクスをかじったのでしょう。ロシアの本場から共産主義を学んだ若手がぞくぞく中国に戻ると毛沢東個人崇拝に批判を加えます。これに対して毛沢東は青少年を動員してこれら知識人に攻撃を加えます。紅衛兵の出現です。三角帽をかぶらされ街中を連れまわされている知識人のニュースが流されていました。毛沢東はこの前、鉄を作る運動で4000万人の餓死者を出しています。この紅衛兵運動でも死者数ははっきりしませんが、被害者は1億人と言っても過言はないでしょう。