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副題に「論理学の哲人たちがあなたの思考を変える」とありますが、これを読んでも私の考え方が変わったとは思われません。それよりもまず何を言っているのかわからないのです。数学などで、たとえば牛のことについて考えると、牛の属性など考える必要はなく、一個の点として単純に考える方法をとります。数学が論理学の一部分か、論理学が数学に一部分かわかりませんが、論理学でも文章を記号のPやQに置き換え、and 、or 、notも記号で置き換え、それらを数式にして、その文章の真偽を表に出来ると書いています。ところが文章も世の中の事象もファジーな部分が大部分で、これも完璧ではないということですが、コンピュータの世界ではand 、or 、notでソフトを作っています。完璧ではなくてもそれなりにうまく機能しているのですから、厳密に考えなくても、程ほどの思考法で大抵のものは処理できるということになります。
西洋の文明には古代ギリシャから始まって、綿綿として論理学の系譜が続いていますが、東洋では、屁理屈など言うのではない、悟らないといけないのだと系譜が続いているような気がします。東洋では数学で言う、途中の証明形式を吹っ飛ばして、直接結論、結果に直行するのが好まれるようです。このためには論理を尽くして考えるのではなく、難行苦行して覚醒に至る道を選んでいるようです。ハッとして気づくが東洋で、悶々として力ずくで問題を解決するのが西洋かもしれません。どちらがいいのかわかりません。東洋の覚醒者もインチキ者が多いし、されど西洋の論理学者も精神病の発露である場合もありそうな気がします。