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ニーアル・ファーガソン マネーの進化史

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ニーアル・ファーガソン マネーの進化史


    マネーには、一万円札とか500円銀貨のようなお金と、銀行や日銀などで記載される数字としてのお金があるようです。後者は別の言葉で「信用」ということになるようです。お金でわかるようにはじめは金とか珍しい貝殻とか珍しい石とかが物を買える貨幣になりました。時代を経て、金を自宅に置いておくととられるので、立派な金庫があるところに金を預けます。預けた証明として証書を作り、預けた人に渡しました。金庫の持ち主は、預けた人々がいっせいに引き出すことがないので、その金を他人に貸したり、また証書も金の裏打ちがあるので、世間に流通します。それがお札となったというのです。それで金本位制ができたのです。はじめはその証書は金に代えられるので、「信用」あるということになります。ところが金がなくても、「信用」=お札だけでも社会が回っていくということがわかりました。現在市中にあるお金の総量より、何十倍もの「信用」の総量があるそうで、このへんまでくると、うとい私には何やなんやらわからなくなります。「マネタリーベース」「マネーストック」「マネーサプライ」「信用創造」・・・・。

かつての常識では、不景気な時には、お札を刷って、お金を増やし、企業に借金してもらって設備投資を増やし、生産性を上げ、少しインフレ気味にすることによって、景気が回復するといわれていましたが、今は、いくらお札を刷っても、企業が金を借りるということは無く、企業も内部留保が多くあってもそれを設備投資に回そうとはしないようです。ただ銀行や企業にカネが溜まるだけで、我々大多数の貧乏人にはゴミくらいしか溜まりません。中国のように、習近平の年老いた体を、若い死刑囚の体と入れ替え、永遠に習近平体制を維持しようとする革新的技術の開発など、日本では考えも及ばないのですから、ハーウェイなどの中国企業に情報を盗まれるばかりです。技術大国日本の凋落ははなはだしいものがあります。大金を持っているだけで使い方を間違えると、末恐ろしいことが起こると心配でなりません。

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