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第一次世界大戦後、ロシアに共産党政権ができ、その思想が蔓延したのが20年代、30年代です。ニューディール政策を推進したスタッフの中には共産党主義者がたくさんいたのです。ルーズベルトは共産党員でなかったかもしれないが、それらの人たちに影響を受けた政策をしています。日本に対してのハルノートは最後通告のようなもので、開戦宣言です。ルーズベルトはハルノートの存在は連邦議会に秘密にしていました。多くの議員が日本の突然の真珠湾攻撃にビックリしています。ハルノートには中国からも満州からも朝鮮からも出て行けということで、到底日本では受け入れることができません。アメリカの開戦ムードを高めるために、ルーズベルトは日本から先に手を出させるようにしたのです。ルーズベルトの敵対者であった共和党のハミルトン・フィッシュもこの真珠湾攻撃で一気に開戦論者になります。最終的に第二次世界大戦後の世界のあり方を決めたヤルタ会談では、容共のルーズベルトはソビエトのスターリンの要望をことごとく受け入れています。日本の千島列島をとることも許しています。へたをすると北海道も取られていたかもしれません。遅まきながらアメリカの軍人たちがソビエトの覇権主義の脅威に気づきはじめました。中国本土が共産党政権になり、戦後5年後朝鮮戦争が勃発します。ルーズベルトの容共政策が、この朝鮮戦争やら後のベトナム戦争を引き起こしていることになるのです。
20年代、30年代ヒットーラーの人種政策に見られるように、この時代優生学の流行があり、ルーズベルトも人種主義者ではないかと、私は思っています。ルーズベルトが日本人を毛嫌いしたかは、彼のペーパーナイフに戦死した日本兵の骨から作ったものを使用していたということからもわかります。唯一白人国家の植民地にならなかった日本に対し、おまけに白人国家であるロシアを叩きのめした日本に対して、本能的に恐れを感じていたのでしょう。戦後ドイツに対しては一部の間違ったナチスのせいにしていますが、日本に対しては全員を抹殺しないといけないという論調のアメリカの新聞記事も出ているくらいです。ルーズベルトはロシアと手を組んで、アジアで唯一白人世界に反旗を翻した日本を永遠に葬り去ろうと欲していたことがわかるような気がしてきました。