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高校生時代数学は苦手でした。その分だけ数学ができるという人を見ると尊敬します。私の学力は二次方程式までで、16世紀のタルターリアとカルダーノの三次方程式になるとあやしくなります。ニュートンとライプニッツの微分積分になると脳に靄がかかります。それ以降の数学の話はチンプンカンプンですが、なぜかしらこういった本を読んでしまいます。よくわからないので私の言葉で考えてみるに、いま問題になっているのは、数学は人間が作ったものであるのか、神が作ったものであるのか、ということになるのでしょう。将棋には規則があり、整然と差し手をすすめることができますが、数学の規則は将棋の規則のようにしっかりとしたものであろうかという疑念が沸き起こっています。数学の定理や公理は人間が恣意的に作ったものであり、もし宇宙人がいれば人間と違った数学を持っているのではないか考えている人もいます。今のところロケットを飛ばしたり、橋げたの強度とか、天気予報も数学でうまく処理できるので、有効な学問です。そうかといってこれが広大な宇宙を満遍なく網羅するようなものであるかどうかははっきりとは断言できない状態なのでしょう。フニャフニャな地盤の上に建てられた砂上の楼閣かもしれないという思いもあるのでしょう。私などはロケットがうまく飛んでいけるので、それをサポートする数学は十分であると思ってしまいますが、論理的な人はそれでは十分でないらしい。このように安易に妥協しないことで、新しい道が開けてくることもあります。その点日本人は相手を思いやって、はっきり反対のことを言えないので、その方面では損をしているかもしれません。ベルヌーイ親子、兄弟、孫までもこの数学でオリジナリティをめぐって喧嘩しています。数学者は変わり者が多いというのは確かです。