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この年、リンドバークが大西洋を飛行機で飛び越え、パリに着き、ベーブルースがホームランを年間60本の新記録を立て、イタリヤの移民サッコとヴァンゼッティが死刑を執行された年です。新聞雑誌の隆盛期でもあり、ラジオが最盛期をむかえ、テレビの原型もできた年でもあります。要するに、アメリカの生活が世界の規範になった年でもあります。今まではヨーロッパに劣等を感じていたアメリカがヨーロッパを超えたと自信を持った年であるのです。今日本である生活のほとんどの形はアメリカの1927年にさかのぼるということです。アル・カポネもこの年最高の収入を得ています。何年後先脱税で逮捕され、何十年も刑務所に監禁されることも知らず、15万人も集まった、プロボクシング・ヘビキュー・タイトルマッチ・デンプシーとタニーの試合の特等席100席分を買占め、配下の親分衆やスター政治家などを招待し、得意満面の28歳のアル・カポネがシカゴのスタジアムの中でふんぞり返っていたのです。
リンドバークはヨーロッパでもアメリカでも英雄になり、彼が行くところ何万人もの人が出迎えました。後に愛児が誘惑され殺されました。なお悪いことはドイツのヒットラーひいきになり、彼の賞賛はやまります。本妻との子供は一人でしたが、その子は殺され、リンドバークには子供がいないのかと思われていましたが、リンドバークが死んだ後、彼にはドイツに愛人がいて、二人の子供いたことがわかりました。なおかつドイツにはあと二人もの愛人がおり、それにも子供がいたということです。リンドバークは我ら白人社会にジンギスカンが入って来られたら民族が汚染されると言っていたくらいですから、ナチの恩恵を受け、女性でもあてがわれたのでしょう。
サッコとヴァンゼッティの記述でイタリヤ系アメリカ人はクリスマスにはウナギを食べるということを知りました。ヴァンゼッティが屋台の魚売りをしていて、給料強奪事件の時には魚を売っていたという証人がいたのも関わらず、死刑になりました。著者によると二人は完全に無罪とはいい切れないといっています。二人は無政府主義者であり、逮捕された時は銃を所持しており、サイコの銃は現代の鑑定では、給料を強奪した時に使用された銃と銃創が一致していると言っています。
この本の始まりに、愛人が出来た妻が夫を分銅で殺した事件が出ています。ありふれた事件ですが、これが新聞や雑誌の影響で大騒ぎになり、リンドバークと同じくらい、犯人二人が移動すると多くの野次馬が集まってきたそうです。この頃から「愚衆」が目に見えるようになったのでしょう。二人は死刑になりましたが、それまでの絞死刑から電気技師のエリオットがつくった電気椅子で死刑になりました。その死刑の写真を隠しカメラでとり、号外に流した新聞記者もいました。後にエリオットの家に爆弾が仕掛けられ、玄関を吹っ飛ばされ、家を作り変えないといけないようになりましたが、犯人は捕まっていません。多分サッコとヴァンゼッティの仲間の無政府主義者の仕業だろうといわれています。