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読書

ベアトリス・ホイザー クラウゼヴィッツの正しい読み方


     クラウゼヴィッツは自著「戦争論」を書き直そうとしたそうですが、1,2章を書き直した後で亡くなっています。整合性と取り戻そうとしたのですが、かえってその矛盾がいろいろな意味で内容の深遠さを表しているようで、後生の人々が引用し、この戦争論にたいして多彩な意味を付与しているようです。

中国の孫子が旧約聖書で、クラウゼヴィッツの戦争論が新約聖書とうまいこといっている人もいます。

孫子の末裔毛沢東は、「政治は血の流れない戦争であり、戦争は血の流れる政治である」と言い、クラウゼヴィッツの「戦争とは他の手段による政治の継続である」から思いついています。日中戦争の時、毛沢東の作戦は、「敵を国内に誘い込む」というもので、その間ゲリラで対抗し、日本の消耗を画策していたのです。日本の参謀は中国弱しと、たかをくくっていたようですが、まんまとこの作戦にはまっています。クラウゼヴィッツはナポレオンがロシア侵攻の失敗で、この戦い方を思いついています。レーニンもナチスヒットラーの戦いでこれを応用しています。しかしスターリンの考えは違っていました。

「クラウゼヴィッツは手工具(産業革命)の時代の戦いを代表する人物だ。しかし今は、機械による戦争の時代になった。そしてこの機械の時代においては、間違いなく新しい軍事思想家が必要とされている」

欧米先進国は戦争を冷酷に研究しています。陸、海、空中、今や宇宙まで戦域が広がり、敵を殲滅する方法を考え抜いています。日本は第二次世界大戦でアメリカやロシアに負けましたが、日本の軍部に騙されたのだという甘い考え方では、この大戦の負け戦の教訓になってはいません。核の時代になり、戦いになれば何もかも消滅するといっても、その前段階にはまだ策というものがあるでしょう。今のところ、臥薪嘗胆で、じっと様子を窺がい、アメリカの衰退、ロシアの経済危機、中国の崩壊を待つべきでしょう。そうは言っても日本のほうが先に亡くなっている可能性が高いかもしれませんが、座して死を待つより、「戦争論」を研究して、何とか生き延びる方策を考え付いて欲しいものです。

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