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マイケル・ポランニー 暗黙知の次元

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マイケル・ポランニー 暗黙知の次元


        1980年 佐藤敬三訳で出版されています。今回は高橋勇夫の訳です。80年代、後に国会議員になった栗本慎一郎がポランニー、ポランニーと言っていましたが、私は「暗黙知」とは無意識のことかと思っていました。栗本慎一郎はテレビにもよく出ていて、まるでケンカをしているような態度をして、生意気そうでした。

今回これを読んでも「暗黙知」ついて、よくわかりません。「人相」と「チェス」と絡めて暗黙知についてこう説明しています。

「これまで分かったところを人相の問題に当てはめて言えば、次のようになるだろう。私たちは、その人らしい顔の外観に注目しようとして、顔の個々の特徴を感知し、その感覚を信じて判断している。私たちは顔の諸部分から顔に向かって注意を払っていくのであり、それ故、諸部分それ自体については明確に述べることができなくなってしまうらしい。・・・暗黙知の機能的構造とはこうしたことをいうのであろう。・・・これを人相などの外観の問題に当てはめると、わたしたちは、自分が注意を向けている外観を介して、その細部の特徴を感知している、ということになる。・・・私たちは、暗黙的認識において、遠位にある条件の様相を見て、その中に中位に近位の条件を感知する。つまり、私たちは、A(近位項)からB(遠位項)に向かって注意を移し、Bの様相の中にAを感知するのだ。これは暗黙認識の現象的構造とでもいうべきものであろう。」

暗黙知とは個々の条件を感知し、統合的に何かを思い浮かべる能力のことなのか?

「ピアニストは、自分の指に注意を集中させたりすると、演奏動作が一時的に麻痺することもある。倍率の高い虫眼鏡で部分を念入りに眺めたりすると、全体の模様や人相を見損ないかねない」

漢字など手書きで書いているとき、じっとその漢字を見つめると、果たしてこれが正しい漢字であろうかと思うときもあります。

「チェスとその勝負の認識に立ち返ってみよう。チェスのプレイは諸原理によって制御される存在であり、その諸原理はチェスのルールの遵守に依存している。しかし勝負をコントロールする諸原理が、チェスのルールに由来するものだなんてことはありえない。」

勝負の結着はチェスのルールでは説明できないが、上位である勝負の結着は下位であるチェスのルールを包括し、「この二つのレベルの間には一つの論理的関係が存在する、といえるだろう。」ということになるとの説明です。

ポランニーがチェスをしたら、たぶん手をじっと見て演奏ができなくなるピアニストと同じように、へぼにも負ける弱いチェスプレイヤーではないかと思われます。

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