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昔風の経済学者は「神の手」が存在して、需要と供給の間で一定の均衡の状態になるというドグマにとらわれているとブキャナンは言っています。その系統を引き継ぐ今の経済学者もその均衡を作り出すために最新の数学を使い、物理学で言うところの統一理論なるもののような、簡潔でスッキリした数式を考案しているようです。ところが実際の経済は、欲の突っ張った人間たちが理性の欠片もない状態で金儲けに邁進しているのですから、理路整然とはいかないのです。かつてアインシュタインが想像していた恒常的宇宙論は成り立たないように、この経済界も想定外が日常茶飯事なのです。しかしこの混乱と滅茶苦茶ぶりを長い期間物理学的目で観察すると、おのずと何かが浮き上がってきます。量子学世界で、電子はどこにいるかははっきりとはわからないが確率論的にはたぶんこの靄あたりに存在するといわれているように、金は世界を飛び回っているが、特に金融街という靄の内に激しく渦巻いており、しばしばそれがハリケーンになり、あっという間に札束を撒き散らします。そこでは法則性がないようでもあり、あるようでもありますが。地震の予知が今でもできないように、経済のクラッシュも予測できません。でも1000年に一度起こるか起こらない地震ではその予後の経過はある程度予測できます。天気予報もスーパーコンピューターのおかげで、少しはあたるようになりましたが、経済もいろいろな要素を打ち込んで計算すれば、近似点は出せそうです。でも欲にかいた人間たちがやることで、多分近似点が出た時点で、その裏をかいて儲けてやろうとする魂胆がありありですから、その近似点も瞬時に古臭いものになるでしょう。ですからこの経済という世界では理性の権現である法則性はないということになり、行き当たりばったりの非線形の数学に解析してもらうより仕方ないのかもしれません。その非線形の数学と言っても少しも私にはわかりませんが。