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リオ・ジャッリーニ 聡明なのになぜか幸福になれない日本人

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リオ・ジャッリーニ 聡明なのになぜか幸福になれない日本人


       我々日本人は、外国人から、とくに欧米系の人間からどう言われているのかを気にする民族だと思われます。明治時代以降日本人の目標は欧米を乗り越えることにあったのですから、欧米は先人、先生であるということになります。江戸時代までは孔子や仏陀が先生でありましたが、大いなる財貨をもたらすような先生ではありません。その点欧米の先生たちは、世界に植民地を作り、人間を売り買いして、自国の富を形成した国々の出身者ですから、豊かになれるノウハウを身につけている存在です。勤勉な日本人は先生のやり方を学び、朝鮮や中国や東南アジアでそのやり方で行動しましたが、途端に先生たちの反発をくらって、元の木阿弥になりました。だから「聡明なのになぜか幸福になれない」というのは、欧米の先生たちが阻止していると考えられないこともない。一般的な欧米の先生たちの日本人の評価は「オリジナリティがない」ということで、猿真似の文化であるということになります。日本人は長い間「素読」という学習方法を身につけていました。先人たちの教本を意味もわからず声を出して暗唱していたのです。日本人の強みは「教本」があれば、何とかなれるのです。残念ながら日本人の欠点はその「教本」が自ら作れないことです。今様の言葉で言えば、「インプット」は早いが、「アウトプット」は苦手だということになります。また日本では「アウトプット」をはしたないととる傾向があります。むやみに意見を言うと生意気だと噂されて、自然と潰されるようになっています。目立たないことで保身を図るのが日本人なのです。イタリア人のリオ・ジャッリーニはそのようなことで日本人は幸福になれないのだと主張しています。「均質主義」が不幸の元凶だということです。その点イタリヤでは一台何十億円のランボルギーニのスーパーカーを作って会社が成り立っています。日本のマツダのように一台百数万の車を何万台も作ってフウフウといっているのとは大違いです。一台何十億円の車に乗れる幸せな一人がいいのか、「幸福度」は薄められるけど、マツダの大衆車に多くの人が乗れるのがいいのか、一概にどっちがいいのかわかりません。

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