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ツタンカーメンが統治した時期は紀元前1336年から1327年です。19歳で死んだのですから、10歳で即位したことになります。彼の父親は自分の姉か妹と結婚してツタンカーメンを産んでします。少年王ツタンカーメンの妃は父親が別の妃とこしらえた娘です。このような近親結婚でツタンカーメンは足に欠陥があり、足の骨折から、蚊に刺されマラリヤになって死んだと検視されています。彼の墓には使い古された杖や、新しい杖が何本もありました。あの世でも歩けるようにとの思いでしょう。ツタンカーメンと妃アンケセバーメンとの間には二人の子供が生まれましたが、「早産か死産」で、やはりツタンカーメンの墓に埋葬されています。ツタンカーメンが死んだ後、この王妃は敵対するヒッタイトの王に手紙を送っています。ヒッタイトの王の息子の一人を私の夫として迎えたいという手紙です。この時期エジプト王朝には韓国時代劇ドラマにまさる陰謀に渦巻いていたことでしょう。史実では王族の一人である60代のアイが10代の王妃の夫になります。これは王妃の希望ではなかったでしょう。強いられた結婚ということになるでしょう。もともとツタンカーメンの墓はこの貴族のアイのための墓だったのですが、アイが王になったため、この小さい墓に埋葬されたのです。一回盗掘にあいますが、犯人は捕まり、ほぼもとのままで封印されます。この小ささが3000年間盗掘を免れたのです。3000年前の盗掘した犯人の足跡が遺跡の中に残っていました。慌てていたのでしょう、指輪など布にまいて隠そうとしたとことも見て取れます。穴を掘って入ったところ、見つかり、何も持ち出せないで穴から出る羽目になったのだと思われます。
今私はNHKの番組の立花隆の臨死体験を見ながらこれを書いています。膀胱ガンを患って死を目の前にした立花の言動の中に、「あの世」があるのではないかとかすかな希望が見えて取れます。エジプトのミイラも生き返るのか、またはあの世で生きているのだろうという思いがあるのでしょう。死んだらゴミだという人もいましたが、これではあまりにも寂しい。死んだ後も何かあってほしいというのが大方の考えでしょう。「肉体」は滅んでも、「魂」はいつまでも残っていると思いたいものです。「魂」はもし子供がいれば子供に残り、子供がいなければ、その人に関わった人々の記憶に残っていると思えばいいでしょう。昨日亡くなった季香蘭・山口淑子は映画に、「シナの夜」の歌で私の頭の中でちゃんと生きています。