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古代ギリシャでは欲望は別に悪いものではなく、オリンピックのために体を鍛え、公共風呂で裸になり、肉体美をひけらかし、またそれらを愛していたという世界です。それがイエスの誕生で、それらの健康美と大らかな欲望の世界を糾弾するようになったのです。その象徴としての神話が聖杯伝説です。イエスが最後の晩餐でぶどう酒を飲んだカップが聖杯で、この聖杯で西欧男たちの神経症が始まります。フィッシャーキングとパーシファルの物語です。バイキングなどの荒ぶれる蛮族の男たちも古代ギリシャの男たちと同じようにイエスの出現に衝撃を感じます。それまでは他国に侵入し、男たちを殺戮し女たちを陵辱して喝采をしていた男たちも果たしてこのような弱いものいじめをしていいものかと疑問を感じ始めます。フィッシャーキングが焼かれた鮭を食べようとして火傷をおいます。この火傷はその疑問の象徴です。いままで天真爛漫に鮭を食べていたのが、食えなくなりました。また欲望のままのフィッシャーキングは神を求める騎士と対決し、その騎士を倒しますが、自分も太ももに傷を負います。それ以降寝たきりになるのです。欲望のままに生きていることに自信をなくします。そこに表れたのがマザコンのパーシファル(道化)です。マザコンゆえにフィッシャーキングを癒すことができません。パーシファルは放浪の旅に出ていろいろな人と出会います。フィッシャーキングについで二代目の神経病みの誕生です。やがてこれはゲーテの自己成長小説につながります。