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ヴォルテール寛容論

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ヴォルテール寛容論


        今年再訳されての出版です。いまだに偏見や宗教的対立や人種間や国家間の対立が絶えていない証拠です。ますますひどくなっているかと思えるほどです。

1761年トゥールーズで「カラス事件」というものが起こりました。プロテスタントのカラスの息子が自殺しました。トゥールーズの大半はカトリックです。カトリックの住民がカラスが自分の息子を絞め殺したと騒ぎ立てます。カラスの息子はカトリックに改宗しようとしたので、父親がそれをさせずとして殺したのだというのです。裁判になり68歳のカラスは車責めの刑になり、殺されました。これに対しヴォルテールはこの本を書き、冤罪を広く世間に示し、カラスの名誉を回復させ、国王ルイ15世から、貧困に落ちていた妻と子に3万6千リーヴル、それにカラスの無罪をいい続けた女中に3千リーヴルを出させることまでできました。

「あらゆる迷信の中で、もっとも危険な迷信は、自分と意見が違う隣人は憎悪すべきだという迷信ではなかろうか。同胞を嫌悪し、迫害することにくらべれば、イエスの臍や、イエスのペニスの包皮や、聖母マリアの乳や衣服を拝むことの方が。よほどまともである」

バングラデシュで日本人がテロ集団によって殺されました。このような集団に対しても「憎悪」をもってはいけないのでしょうか?

ヴォルテールの言っていることは、大多数のものが数をたのんで少数者を迫害したり憎悪したりしてはいけないということです。テロ集団も少数者ですから世界の大多数から迫害されているのかもしれません。その理由から極端なはねっかえりをするのでしょう。これに対して憎悪で迎えあうとますます憎悪の輪廻が形成されます。こうなってもまずいし、少数者に対してこのようなことはやめてくれと言ってもやめないだろうし、まったく難しい問題です。

日本の近くには「意見」の違いすぎる国々があります。イライラすることもありますが、憎悪しては話もままなりません。このヴォルテールの寛容論の原題は「Traite sur la tolerance」になっていて、toleranceには我慢辛抱という意味もあるのです。我慢することに拠って花が咲くということもあります。何事も切れては第二次世界大戦の二の舞になるということです。寛容論とは相手のためだけではなく、自分のためにでもあるのです。

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