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水野杏紀 易、風水、暦、養生、処世 東アジアの宇宙観

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水野杏紀 易、風水、暦、養生、処世 東アジアの宇宙観


        孔子は晩年になって易経を何度も読み返し、「竹簡」のとじ紐が3度も切れたとあります。仕官もままならず、鬱々と過ごしていたのでしょうか?注釈書のようなものも書いています。後継者としてたのんでいた顔回も早死にし、子路は衛の大夫になったが政変によって殺され、つぼの中に塩で漬け込まれ、膾となって孔子のものとに送られてきました。これ以後孔子は膾を食べなくなったそうです。

しかし孔家は現在まで存続し、孔子の子孫が何十万人もいます。紀元前500年くらい前からですから、紀元後600年頃からはっきりした天皇家と比べても、1000年以上も前から継続しているということになります。司馬遷の「史記」で孔子のことをこう書いてあるそうです。

「天下には君主から賢人まで多くの人がいる。(その多くは)生きているときには栄えるけれども、死ねばそれで終わってしまう。孔子は布衣(官位のない平民)の身であったが、十余代(の子孫)に伝えられ、学者はこれを崇拝している。天子、王侯を始め、中国で六芸をいう者は、孔子に基準を求めている。至聖といわねばならない」

このようなことを知ると、たとえ六本木ヒルズに居を構え、何十億の収入のある人間を見ても、たいしたことはないんだと自分を慰めることができます。それよりも悪い意味で幼児殺害者の宮崎勤のほうが何倍も存在感のある人間だということがわかります。成功者を研究することはあまり興味がもてませんが、敗残者には妙に気が引かされます。

中国には筮竹の名人・司馬季主というものがいました。仕官もせず、市中に埋もれ、占いを生業にしていた人です。中国にはこうした「聖賢」のパターンが多いところです。三顧の礼をされても自由がいいのだといって、金のない生活を楽しんでいるようです。

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