忍者ブログ

読書

三国志演義上


          図書館が一週間以上休みで、借り出せず、仕方なしに自前の本を手に取りました。やはり飾っているだけでは、意味がありません。この全集は全巻
10万円ほどで、40年前に買ったものですが、当時は老後のためと思って買い、ところがもはや老人になり、はやく読まないと単なる飾りに終わってしまいます。動画サイトで、中国共産党の絶大なる支援の三国志を見、同時にこの本を読み、ドラマは忠実に三国志演義を模していることがわかります。ただし少し違うところもあります。劉備が住民を引き連れて逃げる場面で、劉備の夫人も赤子を連れて遅れて逃げていましたが、とうとう敵に追いつかれ井戸に身投げします。劉備の家来がその赤子を抱え、敵陣を破って、やっとの思い出で劉備の前にたどり着きます。ドラマでは劉備がよくやったと言うシーンで終わっていますが、本では、劉備はこの家来を危険な目に合わせたということで、赤子を地面に投げつけています。多分赤子は死んでしまうでしょう。2世紀の将軍たちのモラルは21世紀の我々のモラルとは全くかけ離れたもののようです。礼節で人徳のある劉備だと誉めそやされているのに、これではちょっと考え込んでしまいます。呉の大都督・周瑜と、曹操の家来で、かつて周瑜と学び友達である蒋幹とのやり取りの場面で、偽の密書を大都督・周瑜の机から持ち出して、朝早く蒋幹が逃げ出すとき、本では歩哨に合うだけですが、ドラマでは大都督・周瑜の誉れ高い美人の妻・大喬と出会えさせて、諜報戦の効果を高めています。

私がこの前巻で感激したのは、諸葛孔明が呉の参謀たちをやりこめるところです。とくにこの言葉は現代にも通ずるところがあります。

「儒には君子と小人の別がある。そもそも君主の儒とは、忠君愛国、正を守り、邪を憎み、沢(影響)を一世に及ぼすようにつとめ、名を後世に留めること。しかして、小人の儒とは、一字一句にこだわり、いたずらに翰墨をついやして、あらた青春を文章作りに使い果たし、白髪の老人となっては経書をきわめ、ひとたび筆を下せばたちまち千言万言の文章を書き上げるが、胸中実は一物もないというもの。たとえば楊雄が、文名をうたわれながらも、身を屈して王莽につかえ、ついには閣より身を投げるに至ったが如き、これがいわゆる小人の儒と申すもので、たとい日に万言の文章をつくるとも、取るに足らぬことでござる」

PR

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R