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今広島の駅前が再開発されていますが、この本の著者が危惧しているようなことが起こっているような感じがします。
「都市が再開発されると、どこもかしこも巨大なビルやマンションが建ちどこもかしこも同じようなチェーン店が入居する。生活はますます快適に便利になるが、どこか白々として味わいのない空間が増えている」
防腐剤と着色剤に防備されたコンビニのように、一見「明るいが、冷たい感じ」の街づくりがなされているのでしょう。「市場の生き生きとした熱気」もなく、露天の香ばしいイカ焼きの匂いも感じられないでしょう。
我々団塊世代が子供から大人になりつつあった時代は混乱と騒々しさと膨張性がありました。今や人口の退縮期の入り口に入っていますから、秩序と静寂と縮小性に向かっているのでしょう。細菌にまみれたイカ焼きを食って下痢症状になりすぐまた回復するのがいいのか、防腐剤まみれのコンビニ弁当を食って、その日には症状は出ないが長年蓄積すると重い症状が出るのがいいのは判断つきませんが、近年になればなるほど脅威は隠され、一見無難なように見えます。すべてをわかりにくくして責任を問われないようにしているのでしょう。単純な人間は生きづらい世の中になっているようです。
ディズニーランドでも広島球場でも食べ物や酒類の持ち込み禁止になっていて、施設内で高いものを買わせる仕組みになっています。徹底した資本の原理が働いて、いかに収益を上げるかが大本命になっています。昭和に建てられた船橋ヘルスセンターでは弁当持参で三波春雄ショウなど観劇していました。もちろん施設内には食堂もありますが、お客はまるで遠足のような気分で弁当を作り水筒に茶を詰め、升席でお父さんはステテコ姿になり、お母さんは風呂から上がったような状態でショウを見ていたものです。ディズニーランドではステテコ姿やネグリジェ姿では観劇できないでしょう。広島球場でもかつての野次はなくなり、球団の宣伝にまんまと乗せられ、高価な赤いユニホームを買わされ理路整然として応援しています。旧市民球場の試合のラジオ放送の間に紛れ込む、選手がカチンとくる玄人好みの野次が懐かしい。張本が観客に向かってバットを持って殴り込みをかける熱くシーンもあった。今では乱闘シーンも管理されたパフォーマンスで終息が予想されるようなものになっている。昭和ではやることなすことすべて新規なもので結末がどうなるかわからないところがあった。つまり前例がないということで、その場その場で解決することがわ沸き立つ面白みを感じさせてものであったのです