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老人をビルの4階から投げ落とした介護要員の男がいました。彼が中学校でブラスバンドに入り、将来はこの方面で活躍を夢見ていたということが報道されています。どの世界でも華やかでゼニの取れる人間は少数です。野球もしかり、歌謡界も、年に何億もの収入があるのは数えるほどしかいません。このような狭き門に殺到するよりは、東大の入試を目指したほうがもっと成功の率が高いでしょう。しかしながらこの芸能界は若者をひきつける何かがあります。私も若い頃坂本九がテレビに出たとき、にきび面のお兄ちゃんがやれるくらいのことはオレにだって出来るとおもったくらいですから。戦前と違って、普通のお兄ちゃんやお姉ちゃんのような人がテレビに出ていた時代です。もちろんテレビそのものが素人の世界で、戦前のように美男美女を揃えた映画の世界と根本的に違っていました。そうは言いつつも、テレビに出る人たちは我々有象無象よりは一歩も二歩も前に進んでいた人たちです。ポップス一つをとっても、アメリカではやった曲を日本歌手が真似て歌い、それによって我々は時代の流行を追うといった具合です。「悲しき街角」などまず飯田久彦が歌っているのを聞いて、それからアメリカのデル・シャノンの「ランナウェイ」を知るといった按配です。弘田三枝子の「バーケーション」もコニー・フランシスのもち歌を歌ったものです。中尾ミエもそのような路線でいっていました。伊藤ゆかりはイタリアのサンレモノなどをパクっていました。要は当時の日本は今の中国のようなもので、アメリカのはやったものをまねばかりしていたのです。ロカビリー3人男もプレスリーの物真似です。クレージーキャッツのお手本もアメリカに実在するバンドです。
この時代の盛衰を見ると、いかにはやく新しい情報を掴むかにかかっているということがわかります。それを掴んでいち早く売り出せばトップに立てた時代です。