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佐々木健悦 現代モンゴル読本

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佐々木健悦 現代モンゴル読本


       モンゴルでまず思い起こされるのは大相撲です。かつての横綱・朝青龍や今の横綱・白鵬に対して、「品格」がどうのこうのといった意見があります。健悦さんはこれは日本人のいじめだと言っています。私が思うに、「品格」をどうのこうの言う人は言われている対象に対して、自分がより上を行っていると思わせたい人が言うのであって、はっきり言って言う人と言われる人の差はそうたいしてないということです。本当に品格のある人はそのようなゴミみたいな差を超越していますから、「品格」がどうのこうのとはなから言わない人です。モンゴルは発展途上で貧しい国であります。その貧しさの中から日本に出てきて、相撲で勝つことで金を稼いでいるのです。その金を国許に送り父母・親族の生活を支えているのです。何と涙が出るくらい甲斐甲斐しいことでしょう。かつて日本も「おしん」の時代がありました。その当時は「品格」もへったくれもなく頑張っていたのです。大根飯を食って、歯を食いしばって生きていたのを、「品格」がないと言われたらどのような気持ちになるでしょう。モンゴル力士をけなすより、日本人力士の不甲斐なさを叱咤すべきす。それにモンゴル力士が優勝したら、モンゴル国歌を流すべきです。「国技」と言って、狭いところに安住してはいけません。もっとインターナショナルにならねばなりません。ソ連の力士が優勝したら、ウクライナの国歌を流すべきです。あくまでも「国技」と主張するなら、相撲の起源を知るべきです。それは神と相撲してわざと人間が負ける八百長相撲をして、五穀豊穣を願うものであったのです。それはスポーツではありません。儀式なのですから、神におべんちゃらをして喜ばし、豊作をもたらしてくれることを期待するものです。だったらモンゴル力士にチッター負けて日本力士を喜ばしてやれよと堂々と言うべきです。変に「品格」を持ち出さなくても、相撲は儀式なのだから、皆が和気藹々と平和に過ごすためには、わざと勝ったり負けたりして、星勘定をしっかりと記憶し、隔たりのないようにしなければならないのが相撲であると教えるべきです。だから「情の競技」であって、「力の競技」ではないと肝に銘じべきです。

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