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井上一馬 コラムニスト万歳!

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井上一馬 コラムニスト万歳!


       コラムとエッセーはどう違うのか?そんなに違いはなさそうです。コラムというものは新聞や雑誌があって、口直しのための個人的な記事ともいえるでしょう。枕草子、徒然草、モンテーニュのエッセーは、そのような媒介物なしで、ただ個人的な楽しみのために書いていていたと思われます。少数の人たちの話題になれれば、それで満足していたのではないかと思われます。識字率が上がり、新聞や雑誌の大衆メディアが出来ると、それらの紙面をうずめるために多士済々の人たちが文章を書くようになります。それからコラムに特化した作家も出てきます。アメリカにはこの手の書き手が多く、政治、経済、スポーツなどありとあらゆるものに関してのコラムがあり、それぞれに有名なコラムニストがいるのです。

雑誌の女性記者が「面白い男」を書いています。女性にとって好まれる男性はユーモアのある男だそうです。それも「センスのいい」ユーモアです。ダジャレ連発の男はもてません。センスのいいユーモアは女にとって、セックスのうまい男のように、女性を、「自己分析繰り返しで凝り固まった人生の殻を打ち破って」外へ連れ出してくれるほどだと言っています。つまりエクスタシーを感じさせるのでしょう。

「人生について」では作家が、自分が年をとるといかに時間が大切かがわかると書いています。残り時間が少ないので、おのずと時間に関心がむくのでしょう。そのために彼は極力睡眠を減らそうとしています。私とは正反対です。私はなるべく睡眠時間を長くして、死の練習をしています。眠るような死を理想としているので、寝ていたら死んでいたということをイメージトレーニングしています。

「ひとりで食事する男」では永井荷風のようなことを言っていると思っていましたが、旅行していてホテルで一人で食事することについての煩わしさについて書いているのです。アメリカのホテルでは「支配人の席」というものがあって、他の客と相席をして食事をする「システム」ができているそうです。

「ニューヨークの憂鬱」では高層ビルから何かが落下して、自分の頭を直撃するのではないかと心配する男のコラムです。心配性の男は山道で車がスリップして崖から落ちそうになったときに大叔母の発した言葉にその心配性が解消されます。

「これがわたしの運命なら、それはそれでしかたないことだわ」

まさしくこれは「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神である」という聖書の一節を彷彿させます。

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