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強きをくじき弱きを助けるといわれる日本のヤクザは江戸時代から発生したと思われますが、中国では紀元前の春秋の時代までさかのぼります。義理と人情は何も日本人に限ったことではありません。と、いうか、これももともと日本人の専売特許ではなく、中国から取り入れたものだと思われます。町のチンピラがとうとう中国全土を統一したのが漢の始祖・劉邦です。これ以降たびたび町のチンピラが徒党を組んで、その地域の顔になり、よく行けば領主になることもありました。日本の大名も元を正せば、町のチンピラか強盗団である可能性が強い。他人より肝があるから、いろいろな揉め事や相談事にのり、暴力を背景にして解決していたのでしょう。それが町の親分になり、とうとう領主までなったというのが大名の記歴だと思われます。
元、明、清朝と続く中、明だけが漢人の朝廷ですが、元、清はモンゴル人の朝廷です。つい最近まで中国人の言われる漢人は他国の王朝に支配されていたのです。序列はまずモンゴル人が第一級、第二級が色目人(ペルシャ人など)、第三級が華北の漢人であり、最下層が南人といわれ、江南に住んでいる漢人ということになります。今でこそ漢人主体の国家になりましたが、以前は永らく異民族に支配されていたのです。この時代異民族国家に官吏として受け入れられない漢人の知識人は「小説」や「戯曲」を書いて、日頃の鬱憤を晴らすようになります。それが「水滸伝」や「桃花扇」という傑作に凝結します。
清朝末期中国は列強に国土を蹂躙されていましたが、漢人の中に日本を見習って今の体制を変えていかないといけないという思いに駆られる人がいました。日本に留学し、中国に帰って近代化を目指そうしましたが、保守的な西太后によって潰されます。最終的には日本と中国は敵対するものになりましたが、これも戦争上手な欧米列国によって分断された結果だと思われます。イギリスがアフリカでやったことが現在のアフリカの混乱になっていますが、中国と日本の関係もアメリカやイギリスやロシアの画策でこのようになっていると思われます。アメリカ本土で韓国の慰安婦の像の設置を認可しているのも、この流れの一つです。アメリカは原爆投下の戦争犯罪と言わせないために、韓国に慰安婦を、また中国の南京虐殺をさりげなく開示しているのです。実際にあったかどうかは問題ではなく、自分たちの罪をあやふやにするためにそれらが必要欠くべからざるものになっているということです。
もはや現代では「天に替わって道を行く」といった俠客の時代ではないようです。