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明治維新時代、下田や江戸の犬はみな尊皇攘夷派でした。これは冗談ですが、江戸時代、犬は町では「街犬」として、農村部では「里犬」として、個人的に飼われているわけではなく、そうかといって追い立てられることもなく、ときには残飯を与えられたり、時にはその地区の子供たちと遊んだりして、大概は道に寝そべったりしていたそうです。しかしその地区以外の人間が来ると、吠え立てるのです。たぶん外人などは体臭がきついので、とりわけ犬は強烈に吠え立てたのでしょう。
明治になって多くの外国人が日本に来て、かつ外国から犬を連れてきます。英語で、come here,come inと犬に向かって英人やアメリカ人が言っているので、日本人は犬を英語でカメだと思っていたそうです。同時に狂犬病も入ってきて、明治政府は野犬の取り締まりします。飼い犬でも当時は放し飼いであったので、撲殺されています。今の自動車と同じように、洋犬を飼うことは一種のステイタスになります。飼うなら洋犬で、和犬は受難時代を迎えます。江戸時代の犬に対する大らかさがなくなり、カメなかずんば犬にあらずということになり、町から村から追い立てられます。
明治時代犬と言えば西郷隆盛でしょう。明治の大立者も征韓論を受け入れられないもので、故郷の鹿児島に帰ります。そこで猟犬を育て、ウサギ狩りに熱中します。西南戦争の最中でもウサギ狩りはやめなかったそうです。最後になって猟犬を放ち、自害します。上野の西郷像の犬はウサギ狩りを得意にした薩摩犬だということになっています。
最後の「ポチ」のいわれですが、この著者によると、まだら模様を示す日本語の「ぶち」と英語の「spotty」(点のいみがあり、またぶち犬の意味もある)とが交じり合って、「ポチ」になったのではないかと推量しています。