[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
この本を読んでもお金に正しさかあるのかないのかわかりません。どこかで言っているかもしれませんが、私には読み取れません。仲正昌樹の高い教養で全体に靄がかかっていて、私の教養ではその霧を晴らすことが出来ません。仲正は言っています。「芸術」というものは資本の余剰に生存場所を見出すものだと。彼は言ってはいませんが、芸術を口授する大学教授は資本の余剰に住むつく寄生虫でもあります。理工系の教授は企業との関連ができ、バンバンとお金儲けできる面もあります。仲正のような文科系の教授は「芸術」を解説する本を書いて、少々お金儲けできるかもしれませんが、たかが知れています。今度の大学法の改革で、大学も金を儲けないといけないということになりました。その能力のないのが文系の学者たちです。
ゲーテやカフカを知らなくても人は生きていけます。これらはアクセサリーのようなもので、あれば格好いいが、なければなくてすみます。また「芸術」とは人間に「差」をつける化粧のようなものです。「芸術」が存続するためには、多くの人々に「幻想」を植え付けてないといけません。その「幻想」とは、芸術があれば高いクオリティに生き方が出来るというものです。ただ食って寝てセックスするだけでは何ら意味のない人生だということになります。そこにオペラでもはさめば、カフカでも読めば、もっとましな人生が送れるという「幻想」です。生活必需品でないところに金を消費することで、精神的にリッチになれるということです。
カフカはカラスの意味だということを知りました。私もアクセサリーが一つふえました。キルケゴールは神学問題をあれかこれかと悩んで書き綴っていますが、これができたのも父親の莫大な財産を相続し、働く必要がなかったからだそうです。このような金持ボンボンの悩みを聞いてあげる必要があるのかという気がしてきました。