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佐々木閑 ブッタ 真理の言葉

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佐々木閑 ブッタ 真理の言葉


              Windows7
から10にアップしたところ、Windows Media centerが消え、再び7に戻しました。ところが外付けディスクに入れていた、このソフトで撮り溜めていたテレビの番組が、リカバリーした私のパソコンではPCが違うので、再生できませんとでてきます。二台に入れていた録画のテレビ番組がすべて見られなくなりました。どうしてくれるんだと怒鳴りたい気持ちです。あっという間に4テラのバイトが藻屑になってしまったのです。100分de名著ブッタ篇もファイルとして残っているが再生できません。悔しくてたまりません。

しかしこのようなことで腹を立てているようでは、ブッタを真に理解したとはならないでしょう。「一切皆苦」このようにものを溜めることこそが苦しみの始まりである。「諸行無常」急になくなるのも世のたとえ、それがあたりまえなのだ。変わらないものは何もない。「諸法無我」私が私がと思っているうちは間違いだらけだ。私などどこにもいないと思えば、録画の番組などあってもなくても意味はない。

もはや私の歳になると、「涅槃寂静」の練習をしないといけない時期になっています。いまさら自分の持ち物がなくなったなどと騒いでいては、ブッタを理解したとはいえない。

「頭髪が白くなることで長老になるのではない。ただ年をとっただけに人は空しい老人といわれる」

「学ぶことの少ない者は、牛のように老いてゆく。肉ばかり増えて、知恵は増えない」

何度聞いてもブッタの発する言葉はありがたいものです。

「愚かなものが、自分を愚かと自覚するなら、彼はそのことによって賢者となる。愚かなものが自分を賢いと考えるなら、そういうものこそが愚か者と言われる」

私はよく独り言で「馬鹿馬鹿」とつぶやいています。自分のことを馬鹿というときは、多分その時は私は賢者になっているのでしょう。他人のことを馬鹿だとつぶやいているときは、自分が馬鹿であるということになります。しかしこのような独り言をつぶやいているようでは、はなはだ「涅槃寂静」からは遠く離れているような気がしてなりません。

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