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日本神話の天照大神の天岩屋戸伝説は日食が関係するとみて、コンピューターソフトで紀元前から紀元後の日食が起こった日のデーターを出しています。146年、154年、158年、168年、217年、248年、273年、248年、273年、少し飛んで、454年、479年、522年、574年、628年、641年、653年。古事記が712年、日本書紀が720年に出たのですから、かつての女帝・卑弥呼が天照大神にあてがわれたのでしょう。卑弥呼が活躍した時代は、後漢書で、146年から189年「倭国大乱」と記され、「梁書」では178年から184年、卑弥呼が倭を治めると書かれています。239年には卑弥呼は難升米を魏に派遣し、金印と銅鏡100枚をもらっています。卑弥呼が死んだのは249年で、また国が混乱し、卑弥呼の「宗女」・「よと」を建ててまた国が安定しています。作花の結論は、「どれかに(日食)特定するのではなく、何回もおこった日食の記憶とそのときの女王、すなわち初代のヒミコから推古天皇までの記憶がすべて重なって伝えられ、7世紀末にアマテラスの伝説にまとめられた」ということになります。
超新星爆発も最も古いものでは、185年に「後漢書天文志」に、393年にも記されています。1006年、1054年、1181年の客星は「明月記」にも載っていています。1572年と1604年はケプラーによって観測されています。