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則岡孝子 始末の料理裏ワザ全書

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則岡孝子 始末の料理裏ワザ全書


大阪の船場汁では鯖の頭や中骨を湯がいて大根やら人参と一緒に煮ています。昔船場の大戸の大将が従業員に食べさしていたものでしょう。自分や家族は鯖の切り身を焼いたり煮たりして食べたのでしょう。なんとも丁稚どんは辛抱強くないと勤まりません。しかしあらばかり食べさせられたりしていても、いつかはきっと鯖の身を食べるようになってみたいという気持ちが大阪商人の向上心につながります。ある面、差別は人をして奮発させ、新しいものを開発しようとするきっかけになるかもしれません。この、わかりやすい目に見える差は、人をして、この差を縮めようとしたり、逆転してみたいと思わせる気にさせます。現在の日本では平等主義が蔓延しています。昔より差が拡がっているはずですが、それがはっきりと目に付きません。貧乏人でも崩れ肉を成型したステーキが食える時代です。たぶん昔の金持が食べていただろう食材は今では添加物や発色剤を混ぜて、それなりに安く、中間層やそれ以下のものに消費されています。大昔には飢饉などがあり否が応でも一揆を起こさざるを得ないこともありました。現在では工業製品で食べることは一応満たされます。腹が満たされれば、何かをしようとする気持ちはなくなります。日本の停滞はここから来ているのかもしれません。もう一度差別を強化して、低次元で満足している大半の日本人に飢餓感と、何とか改善したいという衝動を与えるような、目に見える差別を見せ付けないといけないのかもしれません。船場汁の復活です。貧乏人は麦を食えといった池田首相の再来が期待されます。やはり食い物の恨みは恐ろしい。船場汁を毎日食わされたら、何とかしないといけないと思うことでしょう。演歌「人生劇場」の歌詞で「吉良(きら)の仁吉は、男じゃないか、おれも生きたや、仁吉のように・・・」とあるように、極端な差があるところでは、きっと人はこのように歌うことになるでしょう。

「億ションにすむIT関連の社長も人間じゃないか、おれも生きたや人間のように」
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