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読書

勢古浩爾 結論で読む人生論


     前世占いの江原啓之の本まで読んでいます。和田アキコに対して「ビリー・ホリディ」が背後霊にあると喜ばしていますが、「馬鹿馬鹿しい、馬脚があらわれている」と勢古は言っています。

我々団塊世代までは「努力」に意味があったと思われます。

「努力よりは他にわれらの未来を善くするものはなく、努力より他にわれらの過去を美しくしたものはない。努力は即ち生活の充実である。努力は即ち各自自己の発展である。努力は即ち生の意義である」(幸田露伴「努力論」)

明治維新も戦後の日本もこの「努力」で何とかなったのです。ところが多国籍企業が跋扈し、ホリエモンのいう、カネを儲けたものが勝ちといった、カネが人間の尺度になったことに、心の底ではそう思っても、あからさまにそう云われると、たとえ努力してもカネが得られなくても、その努力は美しいと言いたくなります。平昌冬季オリンピックでメダルを取ったものは、もちろん本人の努力もありますが、国が選手を選別し、税を投入して強化した成果でもあります。メダルと取った人は一生くいっぱぐれがなくなります。これも世情を反映し、一部の金持と大多数の貧乏人という構図を表しているようです。メダル保持者はテレビに出たりコマーシャルに出たりで、カネがどんどん入ってきます。それにあずかれなかったものは一生下積みで終わります。「努力」だけでは何ともならないような世界になっているようです。どうも集めた税金をある一部の者たちが有利になるような使い方をしているのでしょう。それか、どうにもならない下の者たちに税金を使って救い上げては国力が落ちると考えているのでしょう。優秀なものにドンドン税金をつぎ込み、そこから新しい企業や発明品を作り出して欲しいのでしょう。

とうとうスタンリー・ビンクの「イヤなやつほど成功する」という本も出てきました。他人を思い測るような人間はクズだということです。自分だけ好き勝手をやって他人にはそれを許さないといった生き方です。まさしくこれがアメリカ流人生訓なのでしょう。

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