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読書

千野帽子 人はなぜ物語を求めるのか


       人間の認知形式の中に「物語」あるということです。今のところ、大半の人間が「物語」を通してのみ、世界のことを理解しようとしているのかもしれません。記憶術の達人も、無機質の数字の羅列を物語にして覚えていくそうです。童話も小説も、この物語のバリエーションでありますが、常識も,宗教も、科学も、ここから創出されるといえます。時間の経過が原因と結果をもたらしてくれるだろうという思う傾向を、「物語」そのものが内蔵しているといえるでしょう。こういうことが(結果)が起こったということは、この前にこういうことが(原因)があったからだと、人間は思いがちですが、実際はそれらは全然関係ないかもしれないのです。でもそう考えることで納得できて、その結果が悲惨であっても、気持ちが落ち着くのです。もとものこの認知形式は非常に脆いものをもっています。「妄想」であってもそれが真実に見えてくるということで、「信ずるものは救われる」ということになるのです。「妄想」で救われる人もいますが、「妄想」で苦しむ人もいるのです。軽いうつ病も、重い精神疾患もこの「妄想」がなせるわざですが、健常者も「妄想」で成り立っているといえましょう。「物語」即「妄想」と思えば、「人生」に余り過大な期待をかけることもなく、穏やかに過ごしていけるでしょう。

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