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マルクス・アウレリウスが自省録を書いたのは何も後世に自分の名を残そうとしたのではないと著者は言っています。
「昔使われた表現は今ではもうすたれてしまった。同様に大いにうたわれた名前もある意味では今はすたれた。たとえばカミッルス、カエソ、ウォレスス、デンタトゥス、や後のスキピオ、カト、それからまたアウグストゥス、ハドリアヌスとアントニヌスすべてみやかに色あせて伝説化し、たちまちまったき忘却に理没されてしまう。しかも私はこのことを、この世で輝くばかりに栄光を放った人々について行言っているのだ。なぜならばそのほかの人々は息を引き取るや否や<姿も見えず知るものもなし>なのだから。それに永遠の記憶などいうことはないということは、一体何か。まったく空しいことだ」
ということで、マルクス・アウレリウスは今の現実の時間なかでしっかりと働け、自身のことでは皇帝の職務をしっかりと遂行することが一番大切なことだと言っているのです。賢帝であると言われましたが、唯一の失敗は不肖の息子を後継ぎにさせたことです。息子コンモドゥスは自分の姉を殺し、妻までも殺してしまいます。最後には「運動競技者」によって刺殺されます。
この頃から都市化が進み、ローマは多くの人が住むようになります。水道も引かれ、公衆風呂もでき一見清潔そうに見えますが、実際は犬が人間の腕をくわえて街中を歩き回っていたということです。貧窮者は埋葬するカネがなく、死んだ人間を街中のゴミ置き場に捨てていたそうです。