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読書

古山高麗雄 人生、しょせん運不運


     新義州という街は、ソウル(京城)から鉄道の京義線で結ばれる鴨緑江の近くにある街です。古山によりますと、京義線が開通し、駅ができると、そのまわりに日本人たちの街ができて、それから朝鮮人やら中国人やらがやってきた街だそうです。彼の父はこの新義州で医院を経営していて、古山は何不自由もないボンボンであったということです。中学校を卒業し、旧制高校受験で2浪し、京都の第三高等学校に受かりますが、娼家通いで生活が荒れ、たった一年で自首退学してしまいます。それから浪人時代過ごしていた東京に舞い戻り、悪友たちと無為な生活をしています。その中には安岡章太郎もいます。親からは毎月80円も仕送りをしてもらい、相変わらず娼婦買いにカネを使い、月の10日で仕送りを使い果たすような無頼な生活をしています。やがて大東亜戦争が起こり、古山は徴兵され、南方戦線に行き、最終的にはベトナムでBC級戦犯として拘留されました。

「五族協和というのは、例の美化語であり、偽善語です。あんなに日本がのさばっていたのでは、協和にならない。けれどもわが国は、美辞麗句で飾ることで、おそらく自分自身を偽るのが好きなのです。偽っているうちに、嘘が本当に思えてくる。そういうのが好きな民族なのかもしれません。後になって、シナ事変を東洋平和のための戦争だとか、大東亜戦争を東南アジア諸民族を独立させる戦争だなどという。嘘をつきなさるな。結果で動機を変えてはいけない。支那事変がなぜ聖戦なのだ」

軍隊でいじめられたのがよくわかります。日本人のいやなところが目に付いたのでしょう。

この本のタイトルについて詳しくこう述べています。

「過去のことを、そんな、もし、たら、で思ってみるのは、無意味でしょうか。いえ、未練や後悔があってのことではなく、私はそういったところに自分の、ということは、人の、運というやつがあるんだ。人とはそういう存在なんだ、はかなく、軽いな、と思います。人生とは、運だらけ、自分ではどうにもならないものだらけ、ではありませんか。選択は自分の意思であり、それが招来したものについては、当然、引き受けねばならない。なんて、えらそうなことを言ってみても、選ぶ、ということは、自分の力の及ばない流れの中にあり、運の中にある。選んでも跳ね返されることもあり、拒んでも拉致されてしまうこともある。人は、自分が選んだのだから引き受けねばならないというのではなく、選ぼうが選ばないが、自分にふりかかって来るものを、引き受け、付き合っていかねばならないのです」

世の中は何ともならないことがあるということでしょう。

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