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読書

古山高麗雄 私がヒッピーだったころ


    遠藤周作が中心となって文壇芝居をやっていました。テレビで見ましたが、日頃偉そうな作家たちが、へたくそな芝居をしていました。知名度の高い作家が演劇するのですから、観客も多く入っていて、失敗するたびに笑っていました。古山高麗雄もこれに関わって、戦後捕虜収容所でやった芝居「白波子守唄」を書き直して、これを舞台にかけています。白波5人男にならい、各自ミエを切った場面がありましたが、つっかえひっかえ、まともにセリフをいえる人はいません。それがまた観客に受けて笑いをとります。あの頃の日本は少し豊かになって、余裕が出来てきた頃です。このような冗長を許す気配があって、いい時代だったといえそうですが、緊張感を欠け、その後慢心のバブルを迎える前兆といえるでしょう。出版界も右肩上がりであり、高額納税者にも作家の名前がつながるような時代です。古山高麗雄も雑誌の編集者でもあり、40過ぎから小説を書き、それが芥川賞をとり、一度にわが世の春となりました。家まで建て、娘もでき、中産階級の健全な家長としてやっと安住の域に達した頃です。戦中は二等兵で散々いじめられ、南仏で捕虜収容所で、フランス女性の拷問を手伝わされたことも書き、それが戦後にBC戦犯の容疑者になったという時代とえらい違いです。

私の父はニューギニアのラバウルに戦争中いました。俳優の加東大介の「南方の島に雪が降る」という題の映画がありました。実際に加東大介は女形をしたりして兵隊に大うけだったそうです。その舞台を作ったのが私の父です。テレビで「南方の島に雪が降る」を観て、そう言っていましたから、まちがいないでしょう。どの戦線でもというわけではないでしょうが、日本兵は結構素人芝居をして楽しんでいます。古山高麗雄もそのようなことをしていて、やがて文壇芝居につながるのです。父は戦前にも呉で淡谷のり子の舞台も作っています。淡谷のり子からブツブツ言われたのでしょう。淡谷のり子は生意気な奴やと言っていました。

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