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外骨は明治の人と思っていましたが、昭和30年まで生きています。慶応3年(1867年)生まれで、88歳で亡くなっています。明治時代、不敬罪などで何度も刑務所に入ったりしていました。この頃が外骨の花の時代であったことでしょう。しかし昭和のはじめ頃になると、軍部が台頭してきて、批判も皮肉も言えるような世相ではなくなり、へたをすると殺されかねない状況になり、仕方なく、古新聞の収集と絵葉書の収集・研究に精を出すしか、ないようになります。それに表紙の写真が出ているように、釣りをして、戦中の食料危機に対処しています。この戦中日記には感想などは書かれていなく、釣りをして何匹つれたとか、買出しにいって、どれこれを仕入れたとか事務的なことしか書かれていません。このような日記から外骨が、軍部に迎合し、それ以上に軍部をけしかけ、戦争を拡大する主張をしていたジャーナリズムを情けなく思っていたことがわかるような気がします。この頃の朝日新聞も蒋介石を打つべしと盛んに主張しています。戦後に外骨はこう書いています。
「明治時代の日清交戦当時、支那人を軽蔑してチャンチャン坊主とよんだなどは、実に恩知らずの頂上であると思い、今にそのバチが来るであろうと予知していた。果たせるかな、支那攻略の野望が破れて現在のていたらく、ざまを見ろと叫んでいる者があるはず、恩を忘れる奴の末路は、人も国も同じであると知れよ。いまさらながらそれを悔悟して、日華親善ではなく、支那尊敬の謝意を表さなくてはならぬ」
現在中国はかつての日本のようにおごり高ぶっているように見えますが、何としても中国に日本の近代史の失敗を学んでもらって、日本の轍を二度と踏まないようにしてほしいものです。そのためには我々は外骨の言うように中国に対して尊敬の意を表し、たとえ中国旅行者が日本でトイレットペイパーをごそっと持ち帰ろうとも、取るに足らない小さなことだと思い、いちいち目くじらを立てないことです。