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透析はしないと言っても、眼の前がくらくらするので透析を受けるようになった団鬼六は最後には喉頭がんを宣告されます。医者は手術を勧めますが、団は拒否し、放射線治療をします。一時的にはよくなりますが、2011年連休明けの5月6日に亡くなってしまいました。79歳です。私が団を知ったのは、SM小説からではありません。彼が将棋雑誌を手掛け、それを買ったからです。将棋雑誌にしては大判で、アマチュアの高段者の棋譜などを載せていました。4,5年で廃刊になりました。もともと将棋の雑誌など儲かるものではありません。団の小説は私には退屈ですが、エッセーや将棋に関する書き物は面白く読んでいました。団の棋力は将棋連盟から6段の免状をいただいています。アマチュアの6段といえば、奨励会の初段や二段に値するでしょう。しかし団はそこまではないと思われます。せいぜい3段程度かと思われます。もちろん私よりは強いでしょう。団は面白く書いていますが、4段の免状の時は5万円の免状発行料を日本将棋連盟に支払っています。5段の時は10万円、6段のときは、団ははっきり書いていませんが、現在では27万円も必要です。実力もないのに、高段の免状を持っても意味がないと思われますが、なかにはそれを喜ぶ人がいるから将棋連盟も免状を発行しているのでしょう。しかし6段の免状持ちが初段に負けるようでは値打ちがありません。名誉6段は多分連盟から無闇に将棋をさして恥をさらすなと言い含まれているのでしょう。
最後の花見を盛大に行っています。もう来年は見られないと思ったのでしょう。隅田川に船を繰り出して、80人もの知人と花見を楽しんでいます。西行の短歌が団の今の心境だと言わしめています。
「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」
団鬼六の座右の銘、「何しょうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」(閑吟集)このように生きてきたのですから、ほぼ満足して死にいったと思われます。