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垣内景子 朱子学入門

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垣内景子 朱子学入門


     朱子学の宗主・朱熹は人間的に円満性に欠けていたようです。友からも注意されていたそうですが、一生涯相手をやり込める峻厳性が治らなかったようです。今で言う「いちがい」男なのでしょう。五経をマスターしその注釈書も出したくらいですから、相手が間違った解釈をすると、「ほとんど怒髪天を衝く勢い」で論破していたようです。ブッタや孔子より一回りも二回りも人物として小さかったといえます。事実孔子を「聖人」とあがめ、自分は聖人ではないが、それに到達するために日夜研鑽しているのだという趣旨のことを言っています。

『朱熹の一生は、常に未完成の体系を作り続けた「工夫」の過程であった』

「工夫」とはブルース・リーのカンフー映画のように、「工夫」は中国読みで「カンフー」となります。修行に修行を重ね、達人になるための努力を示しているのです。だから朱熹は一生学び、孔子に近づこうとしていたのです。孔子自身も自分は聖人ではなく、先輩たちである堯、舜、禹等々を聖者とあがめ、自分はそれに学び近づこうとする「君子」になろうとしているのだと言っています。いづれにしても東洋の思想ではある理想形があり、一歩でもそれに近づくのが人間としてのあり方だという傾向があります。そのためには日夜研鑽を積まねばなりません。結果がどうあろうとも、研鑽に大いなる意味をもたせたともいえます。西欧のように結果オーライとはいかないのです。要領よく立ち回ることはもっとも毛嫌いされます。稚拙でもいい、しかし歯を食いしばって頑張る姿勢こそ大切なのだという考え方が目に見えてきます。孔子の一番弟子である顔回のように、貧乏で満足に栄養を取れなく早死にした者のほうが、貨殖して妾を何人も持つ男よりも賞賛されるようになります。合理性はなくなりますが、それよりもまして自分は高い精神性を有しているのだという矜持がもてて、このような努力を惜しまなくなります。これが江戸時代武士道につながり、第二次世界大戦の日本軍の軍人勅語にも影響を与えました。

今一度孔子に習って、行き過ぎはよろしくない、「中庸」こそ肝心であるということも知っていたほうがいいかもしれません。

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