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布施克彦 男なら、ひとり旅

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布施克彦 男なら、ひとり旅


         私と同じ1947年生まれ、団塊世代の主軸、この本の出版が2007年で、今から言えば9年経っていますが、私も生きていますから、彼もまだ生きているでしょう。そうかといって昨日横綱千代の富士が61歳で亡くなったというニュースがありました。年齢に関係なく死ぬ人は死ぬのです。一橋大学を出て、商社の鉄鋼部に配属されます。当時としては花形の職種だったのです。いくら有名大学を出ても、二十歳そこそこの男にとって、10年先、20年先は予測できないものです。配属された当初、鉄鋼部と言えば、日本の土台骨を支える、イケイケドンドンの向かうところ敵なしの状態だったといえるでしょう。ところが20年後には商社の利益を食いちぎる不活性部門に陥ります。とうとう転職し、55歳ではサラリーマンをやめて、「物書き」になりました。物書きでは食っていけないので、大学の非常勤講師になったり、インドとのフリーのビジネスマンになったりしています。自分の経験を本にしています。「54歳引退論」「24時間闘いました」等々です。サラリーマンをやめ、5年ほど経つと余裕ができたのでしょう。一人旅の再開です。学生の時のようにがむしゃらにあちらこちら巡るのではなく、テーマを決めています。縄文から弥生になって、米作りが始まったというのも、そのころから商社があったのではないかという思いつきの検証のための旅です。瀬戸内海の海賊や五島列島の倭寇のようなものがその当時から存在していて、稲作を導入したり、日本で取れる翡翠などを朝鮮や中国に輸出していたのではないかと推察しています。これらを調べるついでに、夜の地元の居酒屋に行き、ご当地のうまいものを食って酒を飲むのも一人旅のテーマになっています。

学生時代の時の日本と、一人旅を再開した時の日本の違いに驚いています。地方は「寂れている」のです。かつては駅前ではおばちゃんが飯屋をきりもみしていましたが、いまやそういったものはありません。きれいになったかもしれませんが、土ぼこりにまみれて沸き起こる猥雑なエネルギーというものが欠けているのです。人なんか歩いていないところが多いそうです。彼はこう表現しています。「生活の匂いが消えた一種の死の街」人口減少が如実にこのようなところに表れているのでしょう。

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