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1923年(大正12年)、在日一世鄭昌建の息子として生まれ、79歳で2002年亡くなっています。町井というのは鄭昌建の2度目の妻の実家の名前です。お寺さんの娘だそうです。町井久之こと鄭建永は最初の妻が産んだ息子で、この女性は朝鮮人です。戦前朝鮮に帰り、息子を父親の母に預け、彼女は別の男と出奔します。13歳まで祖母の下で暮らします。それから父親を頼って日本に来ます。寺の娘のワリにしては、この日本人妻は義理の息子に思いやりがなかったようです。梅干が好きだとわかったら、次の日から出さなくなりました。また敷布団を取り上げて藁の上で寝かせました。このようなことをさせられると誰だってぐれます。父親は中央大学に留学するために日本に来ましたが、中退し、「商才」があったので、戦前タクシー会社を経営していました。戦後は古鉄商で大儲けしています。息子はケンカに明け暮れ、専修大学専門部に入学しますが、戦後の混乱で、勉強するよりは街の愚連隊になります。なにしろ日本の敗戦で、日本にいた朝鮮人が盛んに暴れています。町井久之も血気盛んなときで、風呂屋でケンカし力士を頭突きでぶっ倒しています。戦後在日の朝鮮人たちは北朝鮮系と韓国系にわかれて、日本人に対する以上に闘争に明け暮れています。町井久之は韓国系で、「民団」(在日本大韓民国民団)の幹部を歴任し、自らも「東声会」という暴力集団を作りました。
1946年と1949年に町井久之は殴ったり蹴ったりして人を二人殺しています。いずれも執行猶予ですんでいます。これは進駐軍のGHQが反共の砦として、北朝鮮系の朝連に敵対するものとして、町井に利用価値があったからだという説もあります。防諜のキャノン機関ともつながりがあったとも言われています。アメリカが保護してくれているのですから、怖いもの知らず、です。やがて壮年期に向かって多彩な人脈が出来上がってきます。現韓国の大統領・朴槿恵の父親・朴正煕ともつながりが出来ます。日本でも政財界とも、日本の黒幕と言われている児玉誉士夫ともつながります。
誰でもそうですが、いいことはずっと続くわけはないのです。1979年、朴正煕は大統領官邸で部下によって銃殺されます。児玉誉士夫もロッキード事件で起訴されます。韓国の国営銀行から借りた50億円も払えなくなります。50半ばからの死ぬまでの20数年間は病気がちになり、「人前には」出てこなくなります。彼には娘がひとりいるのですが、彼女がユニクロに服を買いに行くというと、彼もセーターを買ってきてくれと頼みます。この落魄にもっとも「ハッと」したのは町井自身ではないかと、著者は推度しています。