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八百長という言葉があります。実際に明治時代に八百屋の長兵衛がいて、相撲取りの伊勢の海親方と碁をしていつもわざと負けていました。それからわざと負ける相撲を八百長といわれるようになります。「幕の内弁当」は相撲と関係ありそうですが、本当は歌舞伎と関係があり、江戸時時代の歌舞伎は朝から晩までやりますから、その間に弁当がでていたのです。相撲の幕内の意味は「将軍が相撲見物のときに、一人前の力士は将軍の座のある幕に、内がわに伺候することを許されたことから生まれた」言葉だそうです。行司の「はっけよい」とは、古代の宮中相撲で立会いが「はっ競(きほ)えやっ」と叫んで、力士がぶつかっていたことからきました。相撲のひいき筋のことは「谷町」といいますが、大阪の谷町筋に、大金持ちの外科医・荻谷義則という人がいて、「力士の怪我や病気の面倒をよく見てくれた」ことから、この言葉が生まれました。語源を調べるだけで日本史がわかるというのが頷けます。八百屋の長兵衛も、しがない八百屋さんとしても「八百長」として名が残っているのですからたいした者です。「那須与一」という名前から、この人は何番目かに生まれたのかわかります。「与」とはもともと「余」のことで、11番目の子供は11郎と呼ばないで、十の余りが一つということで、「余一」、「余」では格好が悪いので「与」になったということです。だから那須与一は11番目の子供ということになります。「旦那」ということは今では軽々しく扱われていますが、これはもともとサンスクリット語からきているもので、「ターナ」と発音され、寺に寄進する大金持ちのことを指すのです。低給料で日曜日安い焼酎を飲んでいて、自分のことすらことを欠く旦那とは大違いです。「暖簾」ももともと商売屋で使うものではなく、「禅寺で冬に簾の隙間を塞ぐために使った垂れ幕」のことだそうで、だから暖かい簾(すだれ)と書いているのです。それが後々商売屋に普及したということです。「すっぱ抜く」の「すっぱ」は「抜く」を強調する形容動詞化と思いましたが、漢字で「透波」と書き、戦国時代他国の情報を入手するスパイのことを指します。何気なく使っている言葉にもいろいろな歴史が含まれているということはこの本で重々知らされました。