[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
塩見鮮一郎の父親は東大法学部出で、高等文官試験に合格し、農務省に入りましたが、ノモンハンで27歳で戦死しています。高等文官試験の合格者は国家から大事にされてめったに死なないものですが、彼の父親はよっぽど運が悪かったのでしょう。ノモンハンという場所と敵側のロシア側は東大卒ということと高文の合格者ということの威光など少しも理解していないようです。塩見鮮一郎本人は戦後岡山大学を卒業しましたが、父親の同窓たちが遺児の鮮一郎の就職先の世話をし、河出書房新社の編集部にコネで入ることが出来ました。何という美談でしょうか。東大卒のエリートたちの結束は何と固いものか!何十年経っても、東大卒の威光はその息子にまで及ぶということがわかります。これらのエリートは一種の村社会を作っていて、ここの住人やその関係者でないとこの村には入れない仕組みを作っているようです。原発推進も東大畑の人間が大半だそうです。これも原発村といえそうです。村社会では大概目が狭窄になっている人が多い。それだからこそ深い研究もできるのですが、垂れ流しの危険なゴミを100万年まで管理しないといけないと知っていても、それを知らないフリをしているのか、狭窄のため、眼の前に突きつけられても見えてこないのでしょう。たぶん100万年後には放射能に抵抗力のある人間が出来ているのだと考えているのかもしれません。